近代日本経済の立役者として、今なお多くの人々の尊敬を集める渋沢栄一は、天保11年(1840年)深谷市血洗島の農家に生まれました。
持ち前の正義感から若いころは尊王攘夷派の運動に加わったものの、その後は一橋家と幕府に仕えます。慶応3年(1867年)、第15代将軍徳川慶喜の名代徳川昭武に随行して渡仏し、ヨーロッパの進んだ思想・文化・社会から大きな影響を受けました。
帰国後は明治維新政府の大蔵省に仕えますが、大久保利通らと意見が合わず辞職。以後、実業界の最高指導者として活躍しました。
論語の精神を重んじた渋沢栄一は、各種産業の育成と500以上の近代企業の確立に努めたほか、養育院や孤児院など600以上の社会公共事業に携わり、救護法の制定にも尽力するなど、社会の各分野に及ぶ大きな足跡を残しています。